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雑感など

内容の信頼性はこれを保証しない

会話プロレス論

会話はプロレスだ

私はなにかにつけて独自の理論を持ちたがる人間だ。というより、独自の理論をもったいつけて文章に仕立てあげたがる人間だ。そして、そんなふうにして仕立てあげた持論のひとつに、〈会話は「プロレス」だ〉というものがある。これをここでは会話プロレス論と呼ぶことにする。

会話プロレス論

プロレスはヤラセである

プロレスとは皆さんご存知プロレスリングのことである。私はべつにプロレスファンではないのだが、一般常識としてプロレスとはショウであり、いわば筋書きのある闘い、悪くいえばヤラセなのだ。しかしファンはそんなこと百も承知なので、レフリーがカウントのときなかなか「スリー」を言わないからといって文句を垂れたりしない。そんな無粋なことを言うのはプロレスについてまったく無知な、ショウではなくスポーツだと思っている人たちだけだ。

会話もプロレスである

では、会話がプロレスだというのはいったいどういうことなのか。会話=プロレス、プロレス=ヤラセ、会話=ヤラセ、という三段論法を振りかざしても構わないのだが、会話はヤラセであるというのはちょっと意味不明瞭だ。私が言いたいのはヤラセのほうではなく、ショウのほうなのだ。つまり、会話とはショウなのだ。

たとえばこんな例をあげてみよう。

私が、コンビニの「セブンイレブン」のことを「セブン」を略して呼んだとき、友人が「いや、セブンってなんやねん。セブイレやろ!」とツッコミを入れてきた。この時点で私の脳内では、試合開始のゴングが轟き渡るのである。率直にいって、私にとって「セブンイレブン」を「セブン」と略すか「セブイレ」と略すかなど、すごくどうでもいいことだ。だから、「あーまあセブイレって言うこともあるよな」程度に受け流せばそれでその話は終わる。しかしそれでは会話プロレスラーの名が廃る。どうでもいいことに熱くなるのが会話プロレスラーなのだ。だから私は、まるでそれが人生にかかわる重要問題であるかのように、「セブンvsセブイレ」というリングに飛び乗る。ここで重要なのは、私が「セブン」派を代表して放つ言葉のほとんどは冗談半分なのであって、たとえば、「セブイレ」派は田舎臭いとか、「セブイレ」ってなんかウイイレみたいとか、そんな感じのことを言って「セブイレ」派を否定したとしても、それはあくまでもプロレスの技のひとつなのだ。だが、会話プロレスラーではない人はこれを人格攻撃かなにかと勘違いして、腹を立ててしまうことがある。もちろん、悪いのはその人ではなく私なのだが、私は会話プロレス論を無意識的にでも採用している人と好んで友達になる(というかそういう人としか友達になれない)。

結局なにが言いたいのか

結論として、結局この記事でなにが言いたかったのかといえば、私にとって雑談というのは話される内容が雑であっても、それに臨む姿勢は雑ではないのだ。雑な話題でも、真剣に議論する。それでこそ会話はほんとうに楽しいものになる。最初から斜に構えて、そんなことどうでもいいよ~ってなふうに雑談する人は一生スマホでもいじっていただければ結構なのだ。

みなさんも会話プロレスラーになって、私とがっぷり四つに組んで雑談しませんか?

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