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雑感など

内容の信頼性はこれを保証しない

結局、文章をうまく書くにはどうすればいいのか

 いわゆる「文章論」といった話題は世の中に溢れている。あるいは、「文章読本」と題された本は、谷崎潤一郎のものを嚆矢として多くの作家によって書かれた。

 それらのほとんどは、内容が互いに食い違っていることがままある。

 文は人なり。いやいや、そうじゃない。文章は思うままに書け。いやいや、整然とした論理を軸に書け。センテンスは短くしろ。いやいや、無批判な短文信仰は良くない。とにかくたくさん書いて上達しろ。いやいや、闇雲に書いても上達なんてしないよ。といった感じである。

 そこで私は言いたい。結局、文章の上達に必要な練習って何なん? と。

 きっと、ただひとつの正解といったものは存在しないのだろう。世の中の問題という問題がだいたいそうであるように。

 それでも、これだけは確実に言えると思うのだ。

 つまり、「良い文章とは何か」を自分の中で明確に定義できていなければ、良い文章を書くことは決して出来ないのである。

 考えてみれば当然のことで、世に創作と言われる営みには、必ず「理想」というものが深く関わってくる。絵にしろ音楽にしろ、だいたいこんな感じの作品を自分のスタイルとして仕上げていきたい、という理想はもっているのが自然である。

 ところが文章となると意外とそうでもない。なぜか。思うに、それは文章においては「意味」がとても重要だからではないだろうか。まず文章にするべきなにかしらの「意味」があって、それからその「意味」にふさわしい言葉を紡いでいく。おおよそのところ、それが作文というものだ。しかしそうなると、書く文章ごとに「意味」は異なるのだから、紡がれるべき言葉(これがすなわち理想)もまた異なるということになる。これがかなり厄介。自分が文章を書くときの統一的なスタイルといったものを確立するのは非常に難しいのだ。

 だが、やはり理想はなくてはならない。あるいはそれがごくごく小さいものであっても。

 そこで私は決意したのです。

 このブログは、「思ったとおりに書こう」と。

 そうしているうちに、きっと三箇条くらいにはまとまるんじゃないかと。そう思います。