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週刊印象批評:第1回「印象批評とは何か」

 ネット上には、書評ブログがたくさんあって、その中にはとても一般人の手になるとは思えないような(実際、名前を隠した在野の人も多いのかもしれない)、レベルの高いブログもあります。

 僕自身、そういった類のサイトにいつもお世話になっています。僕の場合は、次に読む本を探すときではなく、自分が読んだ本に対する他の読者の感想が知りたくて利用します。自分の感じていたことが見事に代弁されていて膝を打つこともあれば、まったく予想だにしなかった観点からの鋭い洞察もあったりして、非常におもしろい。

 ところで、人というのは(僕だけかもしれませんが)、何かを受容して蓄積していく一方では、なんだかお腹いっぱいという感じで、今度は自分から何かを吐き出したくなる(表現が悪い)ものだと思います。これは文学作品そのものについても言えますが(だから人は書評などというものを書くのではないでしょうか)、同じことが書評ブログについても言えます。読む一方ではなんとなく物足りない

 そういうわけで、今度からこのブログでも書評を始めることにしました。題して、「週刊印象批評」。その名の通り、一週間に一回(多いね。チャレンジング!)、一つの作品を取り上げて批評していきます。更新は今のところ毎週日曜日を予定しています。以下で、編集の方針について少し詳しく解説していこうと思います。

  目次

どのような書評をするか――「印象批評」

 さて、書評をするにあたって、ぜひとも確認しておかなければならないことがあります。それは、どのような観点から文学作品を評していくのかということです。

 曲がりなりにも書評と銘打って文章を書くのであれば、それなりにしっかりとした方向性を打ち出しておかなければ、読者に対して不誠実というものでしょう。

 どのような方向性でやっていくか。気合いの入りすぎた書評は、きっと続かないし、独りよがりです。理論に基づく批評は公平で明快だけれども、素人の僕にまねできるものではないし、読者としてもあまり興味がないかもしれません。*1

 そこで、このブログにおいて行う書評は、ガッツリ理論に基づいた書評ではなく、いわゆる「印象批評」という立場からの書評を行っていきます。

 「印象批評」とは何ぞやというと、煎じ詰めれば好悪(好き嫌い)あるいは面白い・面白くないという主観的な価値判断を基にした批評です。で、これは本来はよくない批評の代表例です。「印象批評」の詳しい解説と、なぜよくない批評かってことは、文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)を読んでもらえると非常にわかりやすいです。しかし、それだとたらい回しみたいでアレなので、『文学部唯野教授』で引用されている大江健三郎さんの発言を孫引きしておきます。

「文学理論は必要です。評価する・あるいは否定する根拠なしの、あいまい主義的な批評にさらされているわが国の作家たちには、それもとくにこれから小説を書き・発表する若い人びとには、文学理論にたつ批評がなされることほど望ましいことはないはずです。気分次第で賞めたり叱ったりする親ほど教育的でないものはないように、あいまい主義的な批評が若い作家をよく育てうるとは思いません。(太字は引用者)」―『文学部唯野教授』p.42

 実に明快な論理です。これ以上言うことはありません。

 とはいえ、私は「若い作家を育てる」ような立場にある人間ではありませんし、プロフェッショナルの評論家ではないので発言力もありません。そんなズブの素人の批評なのだから、まあ印象批評でも勘弁してもらえるのではないかと、思うわけです。

 それでも、好き・嫌い、面白い・面白くない、共感できる・共感できない、感動した・感動しなかった、とかそれだけの批評はちっとも参考になりません。ですから、そういった印象批評以下の読書感想文よりはまともで論理的な批評を心がけようとは思っています。

 具体的な作品の箇所を引用して、ここのこういう部分がこういう点で興味深いとか、注目するべきであるとか、そういうふうに批評していければなと考えています。

「週刊印象批評」の目的

 この「週刊印象批評」が目的とするのは、普段僕がやっているように、読後に参照して読みを深めてもらうことではありません。なぜなら、僕はそのような知見を提供できるほどの知識もなければ読解力もないからです。

 では、何を目的としてやっていくかといえば、次に読む本を探す手がかりとして役立ててもらうことです。世の中には星の数ほど本がありますけれど、そのすべてに読む価値があるかといえば決してそうではありません。しかし、僕らの時間は限られている。限られた時間のなかで、できるだけ失敗をしたくないのは当然です。そんなとき、道しるべとなるものがあればありがたい。そういうものを目指して編集したいと思います。

 したがって、重大なネタバレは避けて批評します。もちろん、あらすじを説明したり適宜引用しながら批評するわけですから、多少のネタバレは禁じえませんが、ご自分で作品を読まれる楽しみがなくなるようなネタバレは絶対にしません。

 それから、その作品に対する明快な答え(解答例のようなもの)は提示しません。もしそうすると、皆さん自身が読むときのバイアス(先入観)になってしまう恐れがあるからです。むしろ、僕が読んでいて、この作品はこういう問題をはらんでいるのではないか、と思った点を皆さんと共有したいと思います。このブログで紹介した問題意識を念頭に置いて、作品を読みながら自分なりの答えを見つけてほしいと思います。

 最後に、昨今、「出版不況」「文学離れ」が叫ばれるなかで、少しでも日本の出版業界と文学界に貢献ができれば、というおこがましい願いももっていることを付け加えておきます。

取り扱う作品について

 この「週刊印象批評」では、取り扱う文学作品に明確な方針を設けておきます。そのほうが、読むべき本を探すために参照してほしいという意図にかなうと思うからです。また、自分としても、普段あまり読まない本を手に取って、批評するために精読するという良い習慣がつくだろうという思惑もあります。

 取り扱う作品の基準は、以下の通りです。

  • 比較的最近に出版された作品
  • 200ページから最大で500ページ程度の作品
  • ライトな純文学からミステリやファンタジーまで幅広く

 第一の基準については、次に読みたい本を探すのに役立ててほしいという方針からすれば当然のものです。古典とされている名著はもちろん、数年前などに出版された作品については、大体は評価が定まっているものです。たくさんの碩学な評論家諸氏が蓄積した評価に、僕が付け加えられることはほとんどありません。したがって、比較的最近の、まだ評価の定まっていない作品について批評していきます。本当であればその週に出版されたもの、としたかったのですが、そうすると僕が読みたいものがない場合が出てくると思うのでやめました。

 第二の基準については、普段読書をしないような人でも手に取りやすいような、できるだけ短めのものがよいという理由からです。これから読書を趣味にしようかな、という段階の方々にとっては、長さというのは最もネックとなるものでもあります。そういうわけで、1000ページ以上にわたる大長編小説や、数巻にわたるシリーズものは原則として取り上げません。これも、日本の出版業界に対するささやかな貢献ができればとの意図を含んでいます。

 第三の基準については、個人的には純文学を愛好しているので、それを主に取り上げたいのですが、純文学はノーサンキューという向きもあると思うので、できるだけ様々なジャンルを越境して取り上げていこうということです。純文学をとりあげるとしてもできるだけライトなものにしたいと思っています。それから、僕自身の読書の偏りを緩和するという隠れた意図もあったりします。

 基本的には、上述の基準に従って批評する作品を選定していくつもりですが、たまに特別篇という感じで基準外の作品を取り上げることもあるかもしれません。

次回予告

 次回の「週刊印象批評」(12月18日更新予定)では、森見登美彦さんの『夜行』を取り上げます

夜行

夜行

 

 お楽しみに。

*1:興味のある方は批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)を参照してください。これはすばらしい本だと思います。そこから発展して文学理論講義: 新しいスタンダードなどへ進まれるとかなり高度なレベルで学習できるでしょう。