雑感など

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取り柄がないのは悲しい

 僕は子供の頃から、特に何かをやるでもなく生きてきた。

 そのときそのときは、それなりに楽しかったし、その点は別の後悔していない。たくさん面白い友達と出会って刺激を受けてきて、そういうわけでかろうじて今の自分がある。不思議といつも友達には恵まれていたのである。

 でも、友達は友達だ。それは自分じゃない。友達がいるのはとても良いことだけれど、友達の存在を自慢する奴などどこにもいない。

 いや、別に自慢がしたいわけではない。だけど、自分の名前も顔も知られていない土地に放り出されたとして、それでもなお僕はこういう人間ですとアピールしてそうやって認知されていくような何か、あるいは、自分以外誰もいない絶対の孤独の世界に取り残されてしまっても、それでもやはりこれだけは確かなものとして保っていられるような何か、そんな何かが僕にはひとつもない。

 自室に一人でいるときに、ああ、僕はこれだけはできるなあ、と思って、心の内奥にぽっと温かい火が灯るように感じられる、そんなものを育もうと努力してこなかった。いや、そもそもそういう発想すらなかった。だが、多くの人は知らず知らずのうちにそういうものを自分の中に成長させていき、あるときふと過去の自分がした努力のありがたみを感じるのだろう。

 僕は過去の自分に感謝したいと思ったことはない。さりとて過去の自分を責めたいと思ったこともない。だから変わらない。きっと明日も明後日も来年も、再来年も、十年後も、死ぬまで! ……いつまでたっても不全感に心を蝕まれ続けながら生きていくことだろう。だって、日はまた昇るのだから。

 取り柄がないのは悲しい。