読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

雑感など

内容の信頼性はこれを保証しない

週刊印象批評:第4回「綿矢りさ『私をくいとめて』」

 

私をくいとめて

私をくいとめて

 

 皆さん、あけましておめでとうございます。週刊印象批評第四回です。

 誰が見ているのやらわからないこの「週刊印象批評」ですが、今年も細々とやっていきますので、何卒よろしくお願いします。

 さて、今回は、予告をしていませんでしたが、綿矢りささんの新刊である『私をくいとめて』を取り上げます。綿矢りささんといえば、『蹴りたい背中 (河出文庫)』で第130回芥川賞を当時19歳の最年少で受賞したのも、もう13年前。なかなか容姿端麗なこともあってチヤホヤされて、毀誉褒貶ありましたが、綿矢さんも2014年に結婚なさって、今では一児の母となったそうです。

 そういうわけで(どういうわけだろう)、『私をくいとめて』を少し詳しくみていきましょう。

  目次

あらすじ

「私の人生って、つまんない?」

「正直に答えてよ、A」。

黒田みつ子、もうすぐ33歳。

男性にも家庭にも縁遠く、一人で生きていくことに、なんの抵抗もないと思っている。

ただ時々、「正解」が見えなくて、迷ってしまうことも・・・。

そんな時は、もう一人の自分「A」に脳内で相談をしている。

私やっぱり、あの人のこと好きなのかな。

でも、いつもと違う行動をして、何かが決定的に変わってしまうのがこわいんだ――。

感情が揺れ動かないように、周りとうまく調和するように。

「おひとりさま」を満喫しようと、繊細に気を配るみつ子。

同世代の女性の気持ちを描き続けてきた著者による真骨頂。著者初の新聞連載小説。

ドライブ感のある文章

「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでる見たいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。」『蹴りたい背中』(p.03:単行本)

  こういう言い方はあるいは失礼なのかもしれませんが、綿矢りささんは、正真正銘の天才肌の人だと思います。もちろん、何作も何作も書いてはボツにして、同じ作品の中でも書いては削ってと、作家なら誰でもやっているであろうことを綿矢さんもやっているのでしょうけれど、それを感じさせない。天性だけを武器にグイグイ文章を推し進めていくような、読者も一緒に引きづられていくような、そういうドライブ感のある文章が綿矢さんの文体的特徴だと思います。

 上に引用したのは『蹴りたい背中』の冒頭からの抜粋ですが、葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス」とか、「あなたたちは微生物を見てはしゃいでる見たいですけど(苦笑)」などの、一般的な書き言葉の文法からは外れるような文が、綿矢さんの作品には頻出します。まさに、この「スタンス」に乗っかっていけるかどうかが、綿矢さんの作品を楽しめるかどうかの分かれ目ではないでしょうか。

 とはいっても、「さびしさは鳴る」といった共感覚的表現や、「細長く、細長く」といったリズミカルな表現、「ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く」といった語り手の息遣いまで聞こえてきそうな生々しそうな文は、書こうと思って書けるものではないというか、「まとも」な作家だと書くのを躊躇してしまう(作家でなくとも、よく文章を書く人ならこういう書き言葉的な文を書くことにためらいがあると思いますが)ような文を、平気で書き連ねていくようなある種の怖いもの知らずさが、綿矢さんにはあるのだと思います。

斬新な比喩表現

「なのに会社の男性たちは新しく入荷される、ナムコナンジャタウンのスイーツフェアに並びそうな”ひんやり夏ジュレフルーツパフェ”や”ベリーベリーぷるるんゼリー”またはイオンのフードコートに入ってる店のメニューにありそうな”鉄板じゅうじゅう焼き肉”や”目玉焼きのせデミグラスソースハンバーグ”みたいな女の子たちばかりに魅(ひ)かれ、しょっちゅう彼女たちの噂をしている。」(p.33)

「片桐さん、ノゾミさんがカーターと呼ぶ彼は、ジャニーズ系の幼く甘い顔立ちというよりは、端正な掘りの深いギリシャ彫刻のようで、昔風の美男子というか、濃く凛々しい眉毛に青みがかった白目、大きく黒い意志的な瞳、しっかりした鼻梁、厚くないが肉感的な唇で、三島由紀夫が克明に描写したがりそうな外見をしている。」(p.34)

  綿矢さんの個性的な文体については既に見た通りですが、上に引用したような、伝わるんだか伝わらないんだかよくわからないけど、何となく伝わってくるような気がする、斬新な比喩表現(比喩表現というのはそもそも斬新なものだという気もしますが)もまた、そこかしこに散りばめられていて、興味深いです。

 比喩表現というのは、描写するものが読者の目の前に浮かんでくるかのように見せるためにするものなので、分かる人にしか分からないような比喩をするのは悪手かもしれません。けれど、三島由紀夫が克明に描写したがりそうな外見」といわれれば、それが分かる人には、ただその外見を想像しやすいだけではなく、思わず笑ってしまいそうです。このような比喩表現の巧みさを味わいながら読むと良いかもしれませんね。

会話の力学

 「でも男の人は暗くなりそうな話題になると、とにかく明るい景気の良い話題をしぼり出してきて雰囲気変えて忘れちゃうってことがある。男女カップルだと、『私が悩みを話してるのに、すぐ話題変えて全然真剣に考えてくれてない』って女の子のほうが怒り出しちゃうが、男同士だと案外スムーズに成り立つ。」(p.50)

 「かすかにプッチの声に元気とハリがなくなったのを、隣の席でモンブランを食べている他人の私は聞き逃さなかった。相手が後出ししてきたハイスコアのカードにより、いままで散々自分に男っ気がないと白状してきた彼女がみっともない立場に追い込まれていて、ちょっと同情する。同じ立場だと思っていた女友達が、実は自分より二歩も三歩もリードしたところにいると知ると、嫉妬とまではいかなくても、複雑な気分になる。」(p.100-101)

  綿矢さんの小説は、会話の描写が鋭くて、読んでいてヒリヒリしてくることがあります。上に引用したのは、焼肉店と喫茶店で「おひとりさま」を満喫している主人公が、近くの二人組の会話を盗み聞きしているところですが、会話から見いだせる性差とか、会話に働いている上下関係の力学みたいなものに対する洞察が見事ですね。一人でいると、ついつい他のグループの会話に耳を傾けてしまうものですが、この小説の主人公は一人でいることが多いので、必然的に他のグループの会話の描写が多くなります。それらにニヤニヤするもよし、ヒヤヒヤするもよし、だと思います。

孤独の表現

「『あなたはどうしてそんなに面倒見が良いの? 私に呆れないの? いつか見放したくなるんじゃない?』

『呆れませんよ。あなたのその制御しきれないパワーが、強みになっている部分もありますから。見放せませにょ。だってあなたは私ですから。見放したくても見放せません。いつでも一心同体です。』」(p.32)

  この小説の主人公は、もうすぐ33歳になるけれども、「男性にも家庭にも縁遠く、一人で生きていくことに、なんの抵抗もないと思っている」という人物。通常、こういう孤独な人物を描くのであれば、徹底的に一人で自分の心の奥底に沈潜していくような、モノローグが中心の小説になると思うのですが、この小説は、頭の中のもう一人の「私」との対話を中心に進んでいきます。

 孤独をテーマにした作品なんだけれども、モノローグ中心の作品のように鬱屈とした雰囲気が漂わない。主人公と、頭の中のもう一人の「私」とのコミカルな対話によって、読みやすい作品に仕上がっていると思います。この二人の軽妙な対話を楽しみながら読むと良いかもしれません。

まとめ

  • 綿矢りささんの天性が遺憾なく発揮されている、ドライブ感のある文体に引きづられるままに、どんどん読み進めていこう。
  • 分かる人には分かる、でも、分からなくてもなんとなく分かるような気がする、そんな斬新な比喩表現を味わって読もう。
  • 読んでいてこちらがヒリヒリしてしまうような会話を、現実世界で他のグループの会話を盗み聞きするように、綿矢さんの鋭い洞察によって白日のもとに晒された会話の力学を感じ取ろう。
  • 孤独をテーマにした作品なのに、重苦しい雰囲気は漂わずに、軽妙でコミカルな作品に仕上がっている。主人公と同じように孤独を感じている人は、自らの問題に直撃しすぎない程度に孤独をテーマにしたこの作品を読んでみると良いかもしれない。

 僕は、綿矢りささんの『蹴りたい背中』を読んで、なんだか良く分からないけど気持ち悪いものが、天性の言語感覚でスパンスパンと表現されていく小気味よさに気に入ったので、どちらかといえば共感しやすいこの『私をくいとめて』は、あまりヒットしませんでした。しかし、気味が悪い文学はちょっと……という人には、かえって読みやすくて良いかもしれません。

次回予告

 次回の週刊印象批評は、1月15日更新予定です。宮本輝さんの『草花たちの静かな誓い』を取り上げたい気もしますが、割りと長い作品なので、読了して書評まで書ききれる自信がないので、あくまで未定ということで。それでは。

草花たちの静かな誓い

草花たちの静かな誓い