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雑感など

内容の信頼性はこれを保証しない

追憶の海に溺れないために

 人は事実をそのままに記憶することはできない。だから、思い出は人の数だけ存在する。そして、それゆえに思い出は美しい。そう、思い出の美しさ、すばらしさを口を酸っぱくして説くことは簡単だし、実に気分がいい。なぜなら、過去に価値を見出すことができる人間は幸せだからだ。

 しかし、人は過去だけでは生きられない。人はいつだって現在に存在するものだし、また、人生は未来に向かって進む一方通行の道だから。過去とは、振り返ってみることができる、それまで歩んだ道の景色でしかない。

 かといって、現在だけに生きることには、ほとんどの人は耐えられない。人は過去との「つながり」のなかでさまざまなものに意味と価値を見出すのだし、また、人は未来から逆算することで現在を有意義なものにできるからだ。過去、現在、未来、そのすべてが揃うことで、人はもっとも充実した生活を営むことができる。

 しかし、私たちはともすると、辛く悲しい現在の重みに耐え切れず、過去という楽園へと逃げ出してしまいがちである。現在と未来とは私たちにさまざまなことを語りかける。それは常に甘美なことばとは限らない。むしろ、辛辣な、身を切るような痛みをともなうことばのほうが多い。だが、過去は寡黙だ。過去は、私たちがいくら語りかけても、返事をすることはない。過去とは、もはや死んでしまった現在なのだから。そして、私たちはいつだって人の話を聞くことよりも、じぶんの話を聞いてもらうことを望んでいる。だから、ただ押し黙って話を聞いてくれる過去のもとへ救いを求めるのだ。

 だが過去は、過去は決して楽園ではない。それは海だ。海は恵みである。しかし、人は永遠に海で暮らすことはできない。そんなことをしては溺れてしまう。過去も同じだ。過去は恵みであると同時に、私たちを溺れ死にさせてしまう恐ろしい海でもある。あまりに長いあいだ追憶の海に浸かっていては、待つのは死あるのみなのだ。

 追憶の海に溺れないために、なにができるのだろうか。つとめて過去について考えないようにすればいいのだろうか。しかし、そうすると逃げ場のない苦しい人生を歩まざるを得なくなる。あるいは、未来について明るい展望を持てばいいのだろうか。それができればなによりだろう。しかし、未来はいつだってだれにとっても真っ暗闇だ。結論を言えば、追憶の海に溺れないためになにができるか、それは私にはまだわからない。わからないからもがいている。もがきにもがいた末に、どこかに漂着できるのだろうか。