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雑想日記

内容の信頼性はこれを保証しない

楽器が演奏できるのはいいことだ

 僕は、ほんの他愛もない趣味程度に、かじる、よりは、なめる、といったほうが適当な程度にピアノを嗜んでいる。やっていて哀しくなるくらいに下手くそなのだが、練習しなければ下手くそ以前の屑で永遠に停滞したままなので、毎日少しだけでも練習するように心がけている(もちろん、ほんとうに毎日できているわけではない)。

 しかし、下手くそなことをやり続けるというのは、思っている以上に根気がいるうえに、失敗ばっかりするので神経がみるみるすり減っていく。思わずピアノを蹴り飛ばしそうになることもある(念のため言っておくが誇張表現である)。

 それでもやっぱり続けるのには、当然、ピアノとピアノ音楽が好きだからというものあるが、もう一つ理由がある。

 それは、言語以外にも何か一つ表現する術を持っておきたいというものだ。

 言うまでもないことだが、僕らは何かを表現しようとするとき、ほとんど言語に依存しきりである。身振りというのもあるが、これは”ボディー・ランゲージ”などと言われるように、畢竟、言語と大差ないものである。というのも、言語と身振りが表現しようとするものは、基本的に同一だからだ(歓び、哀しみ、怒り、愛など)。

 だけど、僕らは、胸に去来する思いを表現しようとするとき、まず言語に頼ろうとしてもどうにもうまくいかなくて、次に精一杯の身振り手振りをしてみるもうまく伝わらずに、途方に暮れてしまうということが稀にある。いや、頻繁にかもしれない。頻度はともかくとして、そういうことは誰しも経験する。そういうとき、言語しか表現媒体をもたない者は、黙り込んでしまう以外に道はない。実際、そうやって押し殺されてしまって、永遠に表現されることのなかった名状しがたい感情にいちいち墓石を立てるとすれば、きっとおびただしい数になっているだろう(なんてまずい比喩なんだろう)。

 ところで、200年くらい前のドイツには、ベートーヴェンという人がいて、たくさんのすばらしい曲を創った。そんなことぐらい知ってるって? すみません。まあとにかく、彼は口下手な人で、しょっちゅう周りの人に不快感を与えていたという不名誉な印象を多くの人々にもたれている。それは実際、事実だったのだろう。でも、彼の名誉のためにこんなエピソードを紹介したいと思う(僕は彼の大ファンだから)。

 あるとき、ベートーヴェンと懇意にしていた女性が、ある出来事のせいで落ち込んでしまった(たぶん失恋とかそんなだったと思うが忘れてしまった。身内の不幸だったかもしれない)。そんなとき、ベートーヴェンは彼女の家を訪ね、一言も声をかけずに、ただ黙って、物悲しい調べをピアノで奏で始めた。

 ああ、もしこんなとき、言語でしか人を慰めることのできない凡夫たる僕らが彼女の家を訪れていたら、僕らのひどく拙い慰藉に対して、きっと彼女は哀しみを怒りに変えて口汚く詰ったことだろう。

 話がずいぶんと逸れてしまった。

 僕はもちろん、ベートーヴェンのようにはなれない。それどころか、インターネットの動画サイトで、僕よりも遥かにピアノがうまくてしかもイケメンな奴がいたら腹が立って仕方がないほどなのである。これでは音楽で人を慰めるどころか、自分自身ただの惨めな奴に過ぎない。

 何にせよ、この諸行無常の世界を渡っていくために、言語しか表現媒体をもたないのはどうにも心許ない。ほんとうは絵も描ければいいと思うのだが、どうもそちらは壊滅的に才能がないらしい。一方でピアノのほうはまだ少しはマシだ。そういうわけで、僕はちょっとでも、己の表現媒体としてピアノの技術の質を高めたいと思うからこそ、毎日毎日、しくじるたびに舌打ちをしながら(しつこいようだが、誇張表現である)、耳障りな騒音をご近所へ垂れ流しているのである(これはたぶん誇張ではない)。

 ちなみに、誇張表現に関する留保がいちいち目につくだろうが、これは僕のリアルな知り合いがこの文章を読んだとしても、僕の人間性に失望しないでいてもらうためである。というこの浅ましい考えこそが、まさに見下されてしかるべき僕の人間性を露呈していることは言うまい。