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雑感など

内容の信頼性はこれを保証しない

存在することの習慣

 人は、生きているだけで他人を傷つけるものだと、よく言われる。

 ほんとうにそうだと思う。

 僕は、これまでの人生で、いじめをしたことはないとずっと思ってきたし、たぶんそのことを誇らしげに公言もしてきた。だけど、傲岸な僕は気づいていなかったのだ。いじめというのは、したことがあるとかしたことがないとか、そんなに単純な二分法で片付けられない問題だということは。

 いや、いじめは当人がいじめと感じたら……、とか、そういう一般論をなぞりたいわけではない。もっと何か、人が人を傷つけるということの本質を、僕は語りたい。でも、それを語るために適切な言葉を、今の僕は持ち合わせていない。あるいは探り当てられない。きっと若すぎるからだろう。

 自分を軸にして考えてみよう。

 僕は、基本的に、ものすごくナイーブだから、ほんとうに些細なことでいちいち傷つく。身近な人の、おそらく何の考えもなしに発されたのであろう一言が、僕の心に決して洗い落とせないシミを落とすことがよくある。ふとしたときにその一言が頭に浮かんできて、独りで勝手に憂鬱に引き摺り込まれていくこともある。まるで、汚れひとつないと思っていたお気に入りのシャツに、茶色いシミを見つけたときのように。

 なかでも、果たされなかった約束がこたえる。

 親とか、友達とか、恋人とか、先輩とか、まあ、なんでもいいけど、そういう人たちが、軽い気持ちで約束をしてくるというのは、誰にでもあることだと思う(「今度あそこ行こう」とか、まあ今はそんなことしか思いつかないけど)。

 そういう軽い気持ちの一言を、僕は割りと真に受けてしまう。で、そういう約束は、僕の心のスケジュール帳に、黒くハッキリした筆跡で記入される(心のスケジュール帳は曖昧模糊としていて、具体的にいつの予定なのか判明していなくても記入できるのだ)。

 もちろん、それらの多くは、果たされなかった約束となる。

 でも、心のスケジュール帳は、折に触れて僕に教えてくれる。あの人との約束、果たされなかったね、と。まるで、どこが引っかかったのか分からないところに、いちいち赤線を引いて教えてくれるマイクロソフト・ワードのように。そんなことは分かっている。僕が一番分かっている。だけど、そんなことをいちいち気にしているのはあまりにもナイーブだ。未熟さの証拠だ。泣きたい気持ちになる。これがいわゆる若気の至りというやつだ。

 そのことで、本人を責めることなど、どうしてできようか。人間は、軽はずみな発言をせずには行きていけない、罪が深い生き物だ。言ったそのとき、そのときは、ほんとうに果たすつもりで言った約束かもしれなかった。発言とは実際そういうものだ。それにしても、傷ついてしまったらもうしょうがない。

 だが、そのときの僕は忘れている。自分もまた、果たさなかった約束が山ほどあるだろう、ということを。そして、気付かないうちに傷つけた無数の”あなた”のことを。

 気付かないうちに傷つけた無数の”あなた”について考えることは、一種のナルシシズムに過ぎない。そんな後悔は、犬も食わない。本気で申し訳ないと思っているのなら、具体的にどこの誰だったかを、必死で思い出して、謝罪しに行くべきなのだ(まるで、蟹のフォルムについて延々と論じた”あの映画”のように)。それをしない時点で、ほんとうの反省ではない。百歩譲っても内省、ずばり言えば自慰だ。そういう行為には、自己憐憫が潜んでいる。傷つけなければ生きられないワタシ、無数の”あなた”を傷つけてしまったワタシ……、ケータイ小説風の、虫酸が走る、アタシの自我。

 でも、眠れない夜には、気付かないうちに傷つけた無数の”あなた”の、顔のない顔が次々と闇の中から浮かんでくる。それらは僕を責めるために来ているわけではない。ただ黙ってこちらを見つめているだけだ。それが僕にはたまらない。顔があって、こちらを厳しい眼で刺すように見つめてくれればどんなに良いだろうか。ああ、業が深い。

 深夜に起きてしまって、どうにもしばらく眠れそうにない、その勢いのなさに任せて、こんなくだらない、論理の錯綜した記事を書いてしまった。

 しかし、傷つけたり、傷つけられたり、そういう営みについて語るときは、どうしてもこういうふうにならざるを得ないのではないか、とも思う。それはあまりに抽象的な営みだからだ。これが動物だったら、肉体の傷つけ合いに終止して、もっと具体的だ。それは容易に治療できる(いや、動物は治療しない。治癒するだけだ)。抽象的に傷つけ合うのは、たぶん人間だけだ。だから、傷つけることについて語るときも、何だかはっきりしない議論になってしまうのだろう。

 もしかしたら、この記事を、僕が気付かないうちに傷つけた無数の”あなた”が見ているかもしれない。僕は”あなた”に謝ろうとは思わない。どうせ、文字で謝罪したって、届かないからだ。だけど、ひとつ言わせてほしい。僕は、”あなた”につけた傷を背負って、生きていくつもりだ、と。