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天才は孤独だと言われるのは何故か

 歴史上、天才と称される人たちの伝記をひもとくと、示し合わせたように「孤独な幼少期/青年期」を描いた章がある。そのせいなのか、「天才には必ず孤独な時期がある」とか「孤独が天才を生む」といった言い方がよくなされる。ひょっとすると、これらを真に受けて、天才になるためにわざわざ独りぼっちを選ぶ人とか、あるいは自分が独りぼっちなのは天才だからだと自分を慰める人とかが、いるかもしれない(僕自身ちょっと耳が痛い)。だがもちろん、温かい人間関係のうちで生涯を送った天才もいるだろうし、死ぬまで孤独だったのに何も成し遂げなかった凡人もいるだろう。とはいえ、圧倒的な才能に恵まれてすばらしい業績を世に遺した人物の多くが孤独な時期を経ているのはやはり事実なのだ。どうしてだろうか。

 常識的に考えれば、天才はあまりにも特異な内的世界を抱えているせいで誰にも理解されないからということになるのだろう。だが僕にはそうは思えない。もし内的世界が理解されないせいで孤独だというのであれば、世の中のほとんどの人は孤独だからだ。自己の内的世界を他者に理解してもらえる人などそうそういない。むしろ、才能に恵まれた人こそ、それを表現して他者に理解してもらう契機に恵まれていると言える。

 それに、いかに天才といえども、いつでもどんなことでも凡人と異なっているわけではないだろう。というより、日常生活のほとんどは凡人と変わらないはずだ。朝起きて、食事を摂り、仕事をして、風呂に入って、眠る。そういった基本的な生活サイクルは共有しているのだし、使っている言語も亡命でもしない限り周囲と一緒だ。たしかに心の奥底にひしめいている思想や想念やイメージみたいなものを広く共有するのは難しいかもしれない。せいぜいひとりかふたりの理解者に恵まれれば幸運だろう(とはいえ、ほんとうに天才であれば後に世界中に理解者を獲得することになるわけだが)。だがそれでも、たとえばその日に一緒に食べた料理やこのあいだ借りて読んだ本についてなら、通じ合うことができないはずはない。そして、人間関係というのは概ねそのような些細なことにまつわる感情を交換することで成り立っている。

 僕が思うに、天才だけが孤独なのではない。人はみな須らく孤独なのだ。問題は、それを直視するのか、見て見ぬふりをするのかということではないか。天才は、人は本質的に孤独でしかあり得ないということを知っている。だから多くの友人と享楽的などんちゃん騒ぎに明け暮れて孤独を誤魔化そうとは思わない。それよりも、ひとりで厳粛な努力に励む。そして努力すればするほど、人間関係の維持・発展に費やす時間はなくなっていき、ますますひとりでいるようになる。その姿は、周囲の人々から見れば、ひどく孤独に映る。これが、天才は孤独だと言われる所以なのではないかと思う。でも実際は、天才が孤独になるのではなく、変な言い方だが、天才になるためには孤独から目を背けて逃げてはいけないということなのだろう。孤独であることに耐えられないのあれば、大衆のなかに埋没して安住するほかないが、孤独であることを厭わぬ強靭な精神の持ち主は、いつかその分野で偉大な業績を打ち立てる可能性を秘めているのである。

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