雑感など

内容の信頼性はこれを保証しない

ブレイクスルー

 このところずっと、日常に漠然とした閉塞感がある。

 まるで、窓がひとつもない真っ暗な部屋でぼんやりとテレビを見るともなく見ているような感じがする。何も見えないのでもないが、何もかも見えるのでもない。何もしていないのでもないが、何かを積極的にしているわけでもない。状況を変えたいと切望しているが、実際に行動に移ろうとするとどうしても集中できない。

 いちばん苦しいのが、以前のように文章を書けなくなったことだ。

 数百字くらい書いたら、もう全部消してしまいたくなる。言葉を連ねれば連ねるほど、表現したいことからかけ離れていっているような気がする。ひねり出す言葉という言葉がすべて虚偽にまみれた薄汚いもののように感じる。小さな穴がたくさん空いているバケツを使ってバスタブから水を汲もうとして、あがけばあがくほどどうしようもなく水が漏れていってしまうような、そんな徒労感がある。

 これまでは、文章を書くということがかろうじて救いになっていた。気持ちが塞ぎ込むことがあっても、ひとりの部屋で黙々と文章を書いていると、そのときだけは集中して、自分と世界を忘れることができた。目の前で増殖していく言葉たちが、紛れもなく自分の内側から生み出された分身であると確信できていた。推敲が苦にならなかった。同じ言葉を連続して使わないようにとか、一文の長短を使い分けてリズムを調整するとか、もっとふさわしい単語を探し求めるとか、そういう工夫のひとつひとつを楽しむことができた。

 だがいまは、日本語を書いているのに、不慣れな英語で書こうとしているかのような不自由さを常に味わっている。厳格な英語の先生を前にして文法に則っているか怯えながら必死で英語を話しているように不安だ。

 自分で書くことを諦めて他人の書いたものを読んでいたが、読むことすら億劫になった。それで映画を見たり音楽を聴いたりすることにした。だがそれも同じことだった。他人が生み出したものを受容するだけでは、状況を打破することなどできるはずもない。自分がなにかを生み出さなければいけない。

 にもかかわらず、僕は行動を起こそうとしていない。ただいたずらに、ブレイクスルーが起きるのを待っている。窓のない部屋の壁に穴が空いて、そこからまばゆい光が差し込んで、新鮮な空気が吹き込んでくることを待ち望んでいる。だが待ち望んでいるに過ぎない。自分の拳で硬い壁を殴ってぶち抜くその痛みを厭っている。このままではいけないという焦燥感だけが募っていく。