雑感など

内容の信頼性はこれを保証しない

大きな主語に気をつけよう

 ものを言ったり書いたりするときに、ついつい「大きな主語」を使ってしまうことがある。「大きな主語」とは、たとえば「男は」とか「女は」とか「日本人は」といったように、ある特定の個人や個物ではなく、抽象的な概念を指す主語のこと。

 大きな主語を使った発言としてありがちなのは、「男ってみんな幼稚だ」とか、「女ってみんなヒステリックだ」とか、「日本人はみんな群れたがる」とかである。

 しかし、こういった発言はとても危険なのだ。

 なぜなら、厳密に言えば、男性が一人残らず幼稚であるなどというのはあり得ないし、また女性が一人残らずヒステリックなどということもあり得ないからだ。そんなことは自分の身の回りを少し注意深く眺めてみればすぐわかる話なのである。

 つまり、大きな主語を使ってものを言ったり書いたりするときには、どうしても嘘をつかざるを得ない。

 にもかかわらず、大きな主語を使いたくなってしまうのはなぜか。

 それは、安全だからである。

 たとえば、自分の友達のA君(男性)がとても幼稚な人間で、そんな彼に毎度まいど迷惑をかけられているとする。

 そのことについて誰かに愚痴を言いたいのだけれども、A君という個人名を挙げて非難すれば、かえって自分の人格が疑われかねない。

 そこで、A君という個人名の代わりに男性という大きな主語を持ち出す。

 「A君って幼稚だから嫌いだ」と言う代わりに、「男って幼稚だから嫌いだ」と言って憂さを晴らすのである。

 ところが、言った方はそれで気分が晴れるかもしれないが、それを聞いている人を不愉快な気持ちにさせる危険性が極めて高いのが、大きな主語を使った発言である。

 簡単なことだ。「男って幼稚だから嫌いだ」などと発言すれば、それを聞いている男性のほとんど全員が気を悪くするのは当然だからである。反対に、「女ってヒステリックだから嫌いだ」という発言は、無論、耳にした女性ほとんど全員を敵に回す発言以外のなんでもない。

 だが、大きな主語で一括りにしてなんでもかんでも判断していたら、対象を個別的に評価する能力が次第に失われていく。

 「男は~だ」「女は~だ」「日本人は~だ」「○○人は~だ」「人間は~」だ……というふうに、自分の身の回りのものをに次から次へと一方的な判決を下していく。

 そうすることで、自分が生きる世界をどんどん貧しいものにしていっていることに気づかなくてはならない。つまり、男性をみんな「男」と一括りにしたら、あなたの世界からA君やB君という個別の人間は消え失せて、ただ「男」という漠然とした存在が居るに過ぎなくなる。

 会う男性、会う男性を、単なる「男」としか見れなくなって、本当はわかりあえる男性との未知の交流を最初から潰してしまっているかもしれないのである。

 これは男性に限らない。「アメリカ人はみんな~だから付き合わない」などと考えていたら、ひょっとすると世界でいちばん気の合う人間だったのにたまたまアメリカ人だったというだけで関係を持とうとしなかった、などという残念なことを起こしかねない。

 自戒の意味を込めて、大きな主語には気をつけよう。