雑感など

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本当にやりたいことを判断できるかもしれない方法

 若い人には、自分が「本当にやりたいこと」が何なのかが分からないという人が少なからずいると思う。僕はあまりそういうふうに思ったことはない。実際にそれをやれるかどうかはともかくとして、人生においてどうしてもこれをやりたいんだということは割りと早い段階から確固としてあったからだ。

 でも、やりたいことが分からないというのはむしろ普通だと思う。一般的な日本人の大学卒業までくらいの人生を考えてみれば、そこで経験することの種類や数といったものはたかが知れているのではないだろうか。たとえばスポーツなら、最初に選んだ部活動をずっと続けるのが通常だから、小学校のときに野球チームに入団すれば以後ずっと野球をするといった具合になる。だが、もしかしたら本当はサッカーのほうが好きなのかもしれない。でも、本格的にサッカーをやる機会がなければ、それを知りようもない。ほかにも、ごくごく平均的な人生を送ってきた若い人で「そうだ小説を書こう」とか「マンガでも描いてみようかな」と思う人はそんなにいないと思う。けれど、やってみたら意外と才能があった、なんていうこともそうあり得ない話ではない。

 だからこそいろいろなことを、とりあえずやってみるということが重要になってくる。もちろんそのためには機会が必要だし、また場合によっては金もかかる。それらを費やした挙句に、「うーん結局どれが自分のやりたいことなのか分からない」などと抜かしていたら周りから呆れられること請け合い。

 でも、たしかにとにかくたくさんのことに手を出してみるのは大切だけれど、手を出すことが増えれば増えるほど、ひとつのことに割ける時間は減っていく。しかし自分が本当にそのことに向いているのか、それが本当にやりたいことなのかを、少ない時間で判断するのはとても難しい。だからといって、最初からひとつのことに絞ってしまっていたら、あまり向いていないことを延々やり続けるなんていうことになりかねない。このあたりで悩んでいる人は多いような気がする。

 僕が思うに、そのような雑多な経験から、本当にやりたいことを判断する方法は、比較にある。たとえば、野球を観戦していて自分も野球がやりたいと思う、これは普通である。あるいは、素晴らしい映画を鑑賞して、自分も映画を撮ってみたいと思うのもよくある話である。だが、野球を観戦して野球がやりたくなって、映画を鑑賞して映画を撮りたくなって、小説を読んで小説を書きたくなって、とかそんなふうに片っ端から感化されまくるようでは、それは本当にやりたいことではない。ただそのときに感化されているに過ぎない。本当にやりたいことは、別のことをやったり見たりしているときにやりたくなることだ。つまり、野球場で選手の鮮やかなプレイを見て勇気づけられ、よし自分もあれくらいの気概で小説を書いてやる、と思えるのならば、その人が本当にやりたいことはきっと小説を書くことだと考えてほぼ間違いない。あるいはとびきり面白い映画を観て気分が良くなって、さてそれでは自分も素振りを頑張ろう、と思えるのならば、その人の本当にやりたいことは野球なのだろう。

 このように、何かが本当にやりたいことかどうかを判断するには、そのこと自体をやるよりも、他のことをやったり見たりしてみるのが良いのではないだろうか。つまり、自分は映画を撮りたいような気がするのならば、それはひとまず脇において名作の誉れが高いアニメを見てみる。それで、アレ、アニメも良いな、なんて思うようでは、まだまだ意志が固まっていないのである。もう少し熟考する余地がある。だが、そのアニメに感動して心に湧き立ってくる情熱が映画撮影に向かうのであれば、それはもう迷わず映画撮影の道に舵を切れば良いと思う。

 だから、もし今、自分は「たぶん」これをやっていきたいと思う、というものがある人でも、いったん別のことをやってみるのをおすすめしたい。