雑感など

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凡人にできることは、「諦めないこと」だけ

 つい先日、個人的な挫折を経験した。正直なところ、それなりに期待していたからガックリきた。たしかに、そりゃあ現実はそんなもんだろうという気持ちが大半であるが、心の片隅で自分はイケるのではないかという気持ちもあった。いや、片隅どころか割りと中心近くにあったかもしれない。もちろん絶対的な自信があったわけではないし、奇跡はそうそう起こらないと頭では理解していた。しかしそうは言っても期待してしまうのが人間の心というものではないだろうか。

 具体的に何がということは語らないが、何にせよ僕はいま岐路に立っている。諦めるか、続行するか、である。無論、続行すればいつかは成功するというわけではないし、そもそも諦めない意志があれば続行できるという類のことでもない。諦めたいという気持ちは相当強くある。そのほうが楽になるかもしれないからだ。諦めてしまえば努力をする必要もなくなる。諦めないうちは努力をしなければならないという強迫観念を常に抱いているから、娯楽で気を紛らわせようとしてもなかなかそうはいかない。逃げている暇があれば努力をしろという心の声が聞こえるからだ。しかし諦めてしまえば、相変わらずしがらみだらけの日常ではあっても、たまの娯楽で気を紛らわせながらなんとなく漫然と生きていくことができる。それはそれで、ひとつの選択だ。

 そう、諦めるということはひとつの立派な選択なのだ。考えてみれば、自分の好きなことをするという道を選ぶことでも、もうひとつの「一般的な」道は諦めている。もうひとつの道を歩めば、ある程度、危険は少なくなるし、立派な大人として認められ、周りから冷めた目で見つめられることもなくなるだろう。だが自分の好きなことを追求したいのであれば、そういう「一般的な」生き方をすることは諦めなくてはならない。人は何かを諦めずに何かを選択することはできないのだ。

 だが、僕にとっては自分の好きなことをするという道のほうが案外、危険が少ない道なのかもしれないとも思う。普通に会社に勤めて、満員電車は慣れているので別に良いけれど、毎日最低でも8時間は働いて、いろんな人に叱られて頭を下げて、みたいな職業生活を、僕がまともに送れるとは思えない。これは甘えととられるかもしれないが、ある意味では合理的な選択とも言えると思う。好きなことを職にするのも会社に勤めるのと同じかそれ以上に大変だということも言われるまでもなく分かっているが、大変さの性質が違うというのは誰もが認めるはずである。僕は概して大変さを嫌う面倒くさがりであるが、どちらかといえば好きなことに伴うより多くの大変さのほうが堪えられる。だから、そちらの道を選ぶのも、単にやりたいからということ以上の理由が、あるといえばある。社会が容認してくれる理由かどうかは知らないが。

 とはいえ、今回、好きなことを職にするための機会のひとつにおいて失敗した。失敗したというか、なんというか、何にせよ成功はしなかった。ありきたりな表現だが、改めて現実を思い知らされたということになるわけだ。こういう経験はけっこう久しぶりで、やはりちょっとした打撃である。ポジティブに捉えれば、挑戦をしたからこそ味わう苦渋ということになるのだろうが、元来ネガティブな考え方をするタチなので、なかなかそうもいかない。この一件だけで、やはり自分には才能などないのだと、絶望に向かって猪突猛進してしまいそうになる。

 ここ数日、躁うつみたいに精神状態が右往左往している。こんなことでヘコタレてはいけない、むしろこの悔しさをバネにして努力するのだ、という躁状態と、もうだめだ諦めよう、といううつ状態との往還である。

 だが、ふと想像してみたのである。ここで諦めてしまった自分の10年後、20年後、あるいは60年後を。僕は「一般的な」道で成功を収められるほどの世渡りの才はないから、たぶん惨めで孤独な人生を食いつぶしていることだろうと思う。そんなとき、あのとき諦めていなければもっとマシな人生が過ごせたかもしれないのになあ、などと無根拠な妄想に浸り、現状に対する不満を口から吐き出すことだけが日々の気晴らし、そんな人間になってしまっている気がするが、そんなふうにはなりたくないのである。諦めずに続行して、それで失敗してもやはり惨めであることには変わりはないが、それはもう仕方のないことだ。あのとき「一般的な」道を選んでいれば成功しただろうになあ、などとは絶対に思わないはずである。自分がどれほど「一般的な」道に向いていないか、自分でよく知っているのだから。

 僕は、自分のためにふさわしい言葉を見つけると、状況が何も変わっていないのに心境が一変することがしばしばある。お仕着せの言葉ではだめなのだ。それで、ここ数日はずっといまの状況をまずは内面から打開するためのおあつらえ向きの言葉を探し求めていた。なかなか見つからずに苦労したが、ようやく見つかった気がする。それでこうして、ある種の意思表示、決意表明として記事を書いている。僕が見つけた言葉はこうだ。「凡人にできることは、『諦めないこと』だけである」。そんなに独創的な言葉でもないし、どことなくネガティブな雰囲気が漂っているところもいかにも僕らしい。しかし、真っ暗闇を凝視し続けたらいつのまにか錯覚の光明が見えている気がしてきて、それを頼りにどうにかこうにか半歩ずつ進んできた人生である。だから今回もそれで良いと思う。僕は凡人である。それは今回で再確認した。ならば、残された手段はただひとつ。「諦めないこと」、それのみである。