雑感など

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何があっても卑屈にだけはなるな

 僕は、人が人に対して卑屈になっているのを見るのが何よりも嫌いだ。学校では、そんな場面を嫌というほど見てきた。生徒は大方みんな教師に対して卑屈だった。教師の言うことがすべて正しいのだから、叱られるときは自分が悪いのだ、そう考えていると思われる人がたくさんいた。そういう人は、どんなに理不尽な理由で叱られても絶対に反論をしようとはしなかった。ただひたすらに項垂れて、涙するだけだった。僕は別にそんなに気が強いわけでも腕っ節が強いわけでもなかったが、どういうわけか卑屈に振る舞うことが我慢ならない子どもだったので、よく教師に楯突いていた。同じ行為をしていたのに男子だけが叱られ女子が放免されたときなどは、友だち数人で他の男子たちをけしかけて教師に歯向かった。そのときは明らかに僕らのほうが正しかったので、さすがの教師も何も反論してこなかった。とはいえ弁明することもなかった。有耶無耶にして終わらされた。しかし僕たち生徒にとっては貴重な勝利だった。(もちろん、最初に叱られるような行為をしたのは僕たちだが、それについてはきちんと謝罪をしたうえでの抗議だった。)

 あるいは、弱い生徒は強い生徒に対して卑屈だった。僕は深刻ないじめに遭遇したことはない(加害者としても被害者としても)のだが、それでもやはりそれの一歩手前のようなことは往々にしてあった。いわゆる「いじり」みたいなことである。中学生くらいの男子グループで、「いじられキャラ」がいないなどというのはほぼあり得ないと思う。そして「いじり」はふとしたきっかけで容易に「いじめ」へと発展していくのであるが、それはともかく、「いじり」というのは大抵が精神的なものだから発見して注意することが難しい。だから生徒のあいだで密かに横行する。特に多かったのは身体的コンプレックスを「いじる」もので、身長が小さい生徒や太っている生徒は容赦なく「いじり」の対象にされた(不思議な事だが、顔が不細工な生徒は対象外だった。僕を含めて)。僕は別段身長が低いわけでもないしガリガリだったので、まあガリガリと色白であることをちょっとからかわれることくらいはあったが、特に気にならない程度だった。しかし、「いじられ」ている生徒を見るのは気分が悪かった。これは極めて理不尽な感情だということは理解したうえでのことだが、「いじり」という行為をする生徒に対して腹が立つのではなく、「いじられ」ているのにもかかわらずヘラヘラ笑ったり俯いて何も言わない生徒に対して腹を立てていた。どうして何も言い返さないのか。どうして一発痛い思いをさせて黙らせないのか。僕には理解できなかった。僕は自分が「いじられキャラ」にされそうになったときは一度派手にひと暴れした。それ以降は僕を「いじろう」とする奴はひとりもいなくなった。だから同じ行為を他の「いじられキャラ」あるいはその候補たちにも求めていたのだろうと思う。

 この精神は今でもあまり変わっていない。大人になっても、というか大人になればなるほどかもしれないが、「いじり」はきちんと存在する。誠に遺憾なことではあるが事実である。そして標的になりやすいのは、どちらかといえば地味でおとなしい人物である。そういう人間を見つけると喜々として「いじろう」とする輩が世の中にはいる。そして大人になって「いじられ」る人はたいてい、学校時代でも「いじられ」続けてきた人である。だからいつもビクビクオドオドしていて、「いじられ」ても「いじられ」るままになっている場合が多い。これが僕には見ていて苦痛である。一度ガツンと言い返してやればまず間違いなく止むのである。にもかかわらず、「いじられキャラ」を続けてきた人というのはそれが板についてしまっていて、自己肯定感が極端に低いことが多いので、反論するなどという発想はまったくないのである。

 僕にもコンプレックスはたくさんある。身体的なものから、精神的なものや、社会的なものまで。数えだしたら嫌になって死にたくなるので数えないようにしている、それほどある。満載である。しかし、どれだけコンプレックスがあっても、それを表に出すことだけはするまい、と決めている。僕はあくまでも僕に対して恥じているのであって、他人や社会に対して恥じているのではないのだ。コンプレックスがあることはどうしようもない。どれだけ悩んで苦しんでも身長は伸びないし容姿は良くならない。だが卑屈になることは自分の意志でどうにでもできる。だから僕は何があっても堂々としているということだけは堅く決めている。失敗したら反省はするが、卑屈にはならない。また堂々と挑戦して同じ失敗をしてやるぞ、くらいの気持ちでいるようにしている。それが僕にできる唯一のことだ。だから世の中の卑屈になっている人たちにもぜひ言いたい。低身長だろうが不細工だろうがデブだろうがハゲだろうが毛深かろうが一重だろうがシャクレだろうが、低学歴だろうが低収入だろうが非正規だろうが社畜だろうが無職だろうが未婚だろうが童貞だろうが処女だろうが、それ自体は一切悪いことでもなんでもない。ただ卑屈にだけはなるな。卑屈になったら、誰かに揶揄されたり罵倒されたり軽蔑されたりしても仕方ないことと思わなくてはいけない。堂々としているべきだ。堂々としている人間を面と向かってからかえるほど勇気のある人間はこの世にそうそういるものではない。他人に対して恥じてばかりで常に下手に出ようとする人間を見つけたときに狂喜乱舞するあの輩どもに絶対に付け入る隙きを与えてはいけない。